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校長室より「おこらいえ」

NIPPON チェンジャーズ

2026年2月1日 09時05分

763 日目

昨日文教会館で行われた暗唱コンテストに
本校から4名が参加しました

2026-01-31 17-24-37
去年12月からコツコツと練習を重ね
うち2名が入賞を果たしました
とても成長を感じた大会になりました

引率の加藤先生からの報告でした

 

  


『NIPPON チェンジャーズ』
とても素敵な番組を見つけました

今ある当たり前の生活
でもそれを手に入れるまでには
多くの方の努力があったのです
そんな方々の物語です

一家に一台のテレビ
これすら夢のまた夢だった頃
全ての家庭に電波の届く仕組みが必要でした
それまで放送事業者各局は
自局の電波塔を保有し運用していましたが
電波が届くのはせいぜい70km 
満足に電波を受信できないところがほとんどでした

そこで一本の電波塔で電波を各地域に送信する
「総合電波塔」を建築する流れになりました

現在の東京タワーです

世界一高い塔を目指したこの設計に
白羽の矢が立ったのは
通天閣も設計した 内藤 多仲 氏

地震と台風が多発し
敗戦から立ち直ってない日本
そんなこと無理だと多くの声の中
「鉄塔造りは、私に課せられた宿縁」
と立ち向かうのでした

当初の設計では 380m を目指しました 
設計工期合わせてわずか1年半
ところが途中でアンテナの長さを
60m から 80m に変更せよとのお達し
コンピュータがなく全てが手計算の時代
今更無理だと言う技術者たちに
「戦争で失った日本人の誇りを取り戻そう」
そう鼓舞してわずか3日で

設計図を書き直したそうです

戦後間もない東京で
鉄を大量に揃えることは
至難の業でした
そして地震と台風の多い日本での建設です
内藤はこの二つの課題を
同時に解決します
それは鉄筋を半分にする案でした
過去に地震や台風を乗り切った塔の構造を踏まえ
様々な揺れや風に耐え得る強度を得るための
膨大な計算を成し遂げたのでした

「積み重ね
  つみ重ねても
   またつみかさね」
内藤が残した言葉だそうです

そしてこの前人未到最高の建築に挑んだのが
己の技術に自信と誇りを持つ
鳶集団『黒崎建設』のみなさんでした
命綱なし
落下防止ネットなし
手すりすらなし
という過酷な環境で
納期もあるので
風速15m/s 以下なら工事決行

現在なら強風注意報が発令されるほどの
風の中
彼らは戦い続けたのです
「鳶の誇りの技術力を世界に示そう」
が合言葉だったそうです

鳶のみなさんの活躍から
もうひとつ日本が誇る技術が生まれました
強風から鼓膜を守るため
職人たちは耳に十円玉を入れていたのです
SONYの技術者がこれを見て
耳に入る小型のイヤホンを開発したのです

日本人初の日本人女性建築家
浜口ミホ
古来日本では台所は
暗くて冷たい北に配置され
卑しい場所とされていました
これまで虐げられてきた女性を解放するために
台所を居間の隣に設置した
いわゆるダイニングキッチンを生み出したのです
狭さを克服するため
食器棚をキッチン台の上に設置しました
将来男性が厨房に立つこともあるだろうと
シンクの高さを80cm に上げました
何よりも画期的なのは
これまで流し台→調理台→かまど
と並んでいた配置を
流し台を中央に変えたのです
このことにより
調理中の移動をほとんど無くし
狭い団地へのシステムキッチン設置を
可能にしたのです

人々の幸せを求めた建築士
弱者の側に立った建築士
生涯建築賞をとったことはなかったそうです