被災のリアル

No8 生徒の異動について

2026年6月14日 17時17分

仮の職員室のホワイトボードは3月までこんな感じでした。

会議室ホワイトボード

ホワイトボード右半分の黒塗りの部分には転学予定の生徒の氏名、転学先、面接の日程などが書かれています。被災した生徒たちは、輪島市内外の避難所、県内・県外の親戚の家、みなし仮設(避難の人用に借り上げられた民間アパートなど)、ホテルなどさまざまな場所に避難していました。戻る家がなく、一家転住をせざるを得ない家庭もたくさんありました。そうなると生徒たちも転学しなければなりません。通常、高校では転学は余程の事情がないとできません。今回の地震はその「余程の事情」で、県内外から受入れの申し出がありました。避難している家庭からは毎日のように何件も転学希望の電話がかかってきました。その都度相手校と電話でやり取りし、書類のやり取り(郵便事情が悪く、金沢へ行く人に持って行ってもらうことも)をしました。仕方がないとはいえ、生徒たちは慣れ親しんだ場所を離れ、友達と別れなければいけません。本当に難しい決断だっと思います。面接の予定が決まったものの保護者と本人の間で食い違いがあり、再度設定しなおしたケースがありました。保護者は仕事の関係で当面輪島に残らざるを得ず、子供は金沢方面に避難していて別々に生活していたため十分に話し合いができていなかったのです。また、転学でも、一時的な転学という場合があり、水道が復旧したら戻るとか、仮設住宅ができたら戻るという一体いつになるのかわからない難しいケースもよくありました。そういった難しい状況でも多くの学校に快く受け入れていただきました。本当に感謝申し上げます。ときどき転学した生徒の様子を転学先の高校から聞くことがありました。「彼は部活動で頑張って県大会で入賞しましたよ」などと聞くと良かったと思うと同時に、なじめていない生徒もいるだろうなとついつい考えてしまいました。

No7 職員室の被害

2026年6月7日 19時29分

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職員室は写真のような状態でした。職員室がある2号館は一番被害が大きく、明らかに傾いていました。「また大きな地震があったら倒壊するのではないか」と職員が懸念を示したので、早い段階で使用をあきらめました。そこで大人数が入れる場所として1号館にある会議室が仮の職員室として選ばれました。正面玄関に近く、校長室や事務室に近かったことも大きな要因でした。会議室の机がそのまま先生方の机になりました。とにかく当面の間必要なものを職員室から持ち込み、LANケーブルを引っ張ってきました。電源を確保するのが難しく、容量にも限りがあったので別の部屋から延長コードをはわせるなどして何とか業務を行えるようにしました。(奥にこたつが置いてありますが、いつの間にか設置されていて、休憩場所になっていました)奥に仕切りがありますが、仕切りの向こう側は定時制の職員室となりました。

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地震の間、学校に来るのが難しかった教員がいたのでスペース的には間に合いました。教員の中には住んでいたアパートが倒壊し金沢市にある実家に戻らざるを得なかった人や地元の人でも家が被災して家族で金沢市等に避難した人が相当数いたからです。そうした先生方は、教育委員会が県庁近くに位置する金沢西高校の1室に用意した「サテライト職員室」に「通勤」し、飯田高校や穴水高校など他の奥能登の高校の先生方と共同で3月中頃まで使用していました。(金沢西高校のみなさまありがとうございました)

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No.6 体育施設の被害について(2)

2026年5月31日 19時24分

グラウンドが全く使えない間は、本校から約20㎞離れたところにある日本航空高校石川のグラウンドを借りて練習していました。平日の半分以上、野球場とサッカーグラウンドを使わせていただきました。本当に感謝しています。(令和6年10月の体育祭も航空高校のグラウンドをお借りして開催することができました)

3月末に自衛隊がいなくなった後、部活動の場所や体を思いきり動かせる場所を確保しようと、生徒たちは自らグラウンドの整備を始めました。車両の出入りのために敷かれた砂利を拾ったり、トンボをかけたりして進めていましたが、豪雨により振出しに戻るという悔しい経験もしました。

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その後、生徒たちの頑張っている様子を見た地域住民が、厚意で重機で整備を手伝ってくれたり、11月末には県の工事が入ったりで現在は整備が完了しています。(ちなみにグラウンドの整備には数千万円の費用がかかります)整備はされましたが、仮設校舎が建っているため狭くなったグラウンドで、野球部、サッカー部、陸上部がひしめきあって練習しています。

それでも、練習場所がなく部活動がままならなかったときに体育施設を使わせていただいた有難みがわかっているので休日や練習試合でいないときなどは地域の子どもたちのスポーツ活動のために開放しています。

番外編:のとマルチセクターダイアローグに参加してきました

2026年5月25日 13時47分

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本ブログの趣旨とは違いますが、「これからのこと」には鮮度が大事なのでご紹介します。

5月23日(土)能登空港のNOTOMORIで行われた「第4回のとマルチセクターダイアローグ」に参加してきました。「のとマルチセクター・ダイアローグ」とは、経済同友会が主催する能登半島の復興と地域創生に向けた対話集会です。行政、企業、NPOなど多様なセクターの参加者が「I DO NOTO and you?」をコンセプトに、みんなの力で能登の未来を切り拓くための具体的なプロジェクトを議論し推進しています。今回はその4回目で200名近くの人が参集しました。

冒頭の挨拶では、能登の復興に失敗したら、それは日本の将来にとっても悲劇であるとの言葉がありました。災害大国日本ではこれからも大災害が起こる。そんなとき東北や熊本、能登の復興が、被災してもこうやって立ち上がれるのだというモデルとして、希望として、未来に提示できるかもしれない。だから能登の復興はみんなで支えていくんだという強い思いが伝わってきました。

今回は宮城県女川町の須田町長をゲストスピーカーにお招きし、復興の歩みについてお話を聞くことができました。新しい町並みが形になるのに8年かかったこと、取り組みには賛否いろいろあったこと、人口は減り続けていることなど率直に語っていただきました。そして、「それでも前に進んでいるんだ」という言葉に励まされながら、発災以来走り続けているその姿に感銘を受けました。そして人と人のつながりがエネルギーを生み出すんだなと痛感しました。

この会ではイノベーション×レスキューシティ、拠点を活用した復興支援、アート、能登の食の流通、オーベルジュレストラン、スポーツ、企業研修・派遣、教育、新コンセプト活用、北陸経済人による企業プラットフォームなどさまざまなテーマに分かれて議論が行われました。会の最後にそれぞれ話し合ったことが全体共有されたのですが、民間の方々のスピード感は半端ないと感じました。この会が終わったらもうプロジェクトをスタートさせて、6ヶ月後の報告会ではその成果を発表するとしたところがたくさんありました。

能登は大きな被害に遭いましたが、それを逆手にとって新しく生まれ変わる千載一遇のチャンスを得ることができたと思います。みんなの思いがひとつでも形になるように私たちも知恵を絞っていきたいです。

No.5 体育施設の被害について

2026年5月23日 20時05分

本校の体育施設は以下の通りです。
第1体育館(ステージあり)
第2体育館(1階は卓球場、トレーニング場、剣道場、柔道場、2階はステージなしの体育館)
グラウンド
テニスコート4面(クレイ)

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第1体育館は輪島高校の施設でも最も古い施設の一つなので、入り口付近を中心に大きなダメージを受けました。そして中に入ってびっくりしたのはたくさんの白い物体。一瞬「何?」と思いましたが、すぐに理解しました。古い体育館あるあるですが、天井近くの梁に引っ掛かっていたバドミントンの羽が強い揺れで落ちてしまっていたのでした。そして画像ではわかりにくいのですが、床が大きく湾曲しています。この場所は震災直後しばらくは自衛隊の宿営所になりました。数回中に入る機会がありましたが、数十人の自衛隊の方がいてものものしい感じでした。2月中にはほとんどの方が撤退したのですが、湾曲した床では部活動はできませんでした。

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第2体育館の1階も大きく床が湾曲し、中央部が盛り上がっている状態でした。こちらは輪島市民の方の避難所となりました。この場所は輪島高校内で最も長く避難所となった施設で、最後の方が去ったのはその年の9月のことでした。当然1階では部活動はできませんでした。第2体育館2階の床面は無事でした。ただ天井の蛍光灯のほとんどがなぜか片方だけ外れてぶら下がっていました。第1体育館も含めて構造物が落ちているということはありませんでした。ここでは蛍光灯を修繕した後、部活動をすることができました。集会などもこの体育館で行いました。

No.4 輪島高校の耐震性はどうだったか

2026年5月6日 13時02分

輪島高校の100周年記念サイトによれば、震災発生時点の輪島高校校舎の建設年、改修年は以下のとおりです。

1967年 第1体育館竣工
1969年 新校舎管理棟落成
1979年 特別教室(視聴覚室、被服室、美術室)及び普通科教室増築工事竣工
1982年 第2体育館完成
1993年 第1体育館大規模改修工事完成
1999年 教室棟大規模改修・耐震補強工事(1期)竣工
2000年 教室棟大規模改修・耐震補強工事(2期)竣工

1995年の阪神淡路大震災を契機に、同年6月に制定された地震防災対策特別措置法等の下で、各地方公共団体等において学校施設の耐震化が図られてきました。本校も1999年と2000年に耐震補強工事を行っています。実際、教室棟の破損は各棟の接合部分を除いて大規模なものはなく、教室の窓ガラスも割れていませんでした。「箱」としての構造物の耐震性はそれなりにあったものと思われます。

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しかし、問題は基礎杭が破損していることでした。

No.3 震度7の教室

2026年5月5日 20時36分

その時教室にいなかったのでわかりませんが、これが地震後の教室の様子です。

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案外と立っている机がありますが、輪島市中心部は震度6強だったからでしょうか。

震度7では机が吹き飛ぶこともあるということなので、とにかく頭に物が落ちてこない教室にしておくことが重要です。気を付けるべきところは、天吊りのプロジェクターや背の高い棚、蛍光灯の破片、窓ガラスの破片、大型モニターといったところでしょうか。どれも対策にはお金がかかってしまいそうですが、教室は生徒の滞在時間が一番長い場所なので対策の優先度は高くなります。

東京都消防庁公式チャンネルには3Dですが、大地震発生時に教室がどのような状態になるかかなりリアルな動画が掲載されています。

No.2 被害想定について

2026年5月5日 19時12分

石川県では「県立学校における防災対応力の強化」を目的に、令和7年度より地域ごとに防災拠点校を置き、少なくとも学期に1回防災教育を行い、連携校と共有する取り組みを始めました。

石川県学校防災アドバイザーの青木賢人金沢大学准教授によると、まず防災計画の充実にあたっては被害想定の「適切な見積もり」が重要と指摘しています。(以下青木准教授の講義を参考)

①活断層との位置関係を確認

活断層と学校の位置関係を知るには「地理院地図」を使用します。

サイトを開いたら、左上の「地図」をクリックしてください。「土地の成り立ち・・」「活断層図」「活断層図(都市圏活断層図)」を順にクリックしていきます。

地図上に数多くの赤い枠が表示されます。学校周辺を拡大表示してください。

表示された赤実線、赤破線、赤点線が活断層の位置を示します.30~50m程度の幅を持たせて重なりを判断してください。赤網掛けは撓曲変形です。この上も構造物被害が生じます。

活断層の直上に学校ある場合は震度想定は7となります。

もっとも奥能登にはこの地図で対象になる活断層はないそうです。すべてが把握されているわけではないということです。

②学校が活断層の直上にない場合

防災科学技術研究所「地震ハザードステーション」からJ-SHISマップを起動し、「想定地震地図」のタブをクリックしてください。
左側のコラムにある「震源断層」にチェックを入れ、学校周辺を拡大してください。
地図中から対象となる活断層を選んでください。
表示された震度分布で、学校の震度分布を確認してください。
右クリックで画像が保存されます。後で確認できるように保存しておいてください。

対策を立てる時の基準として、確認できた最大震度の一つ上の震度階を採用するそうです。
最大の震度が5弱なら震度5強で、最大震度が6強なら震度7で対策をたてるということです。

想定震度がわかったら、どのような被害が想定されるかを「気象庁震度階級関連解説表」で確認しましょう。

地震ではありませんが、「ハザードマップポータルサイト」という特定の地域の災害リスクを知ることができるサイトもあります。

この方法を知っておくと、自分の学校だけではなく、修学旅行などあまり慣れていない土地に行く場合でもどのような災害リスクがあるかを確認できます。

このように、情報はすでにインターネット上にあるので知らなかったという言い分は通らないと思った方がよいでしょう。

No.1 令和6年能登半島地震の被害

2026年5月5日 18時20分

令和6年1月1日16時10分の地震(令和8年3月31日時点)

①発生日時 ○令和6年1月1日16:10

②震源及び規模(暫定値) ○場所:石川県能登地方(北緯37.5度、東経137.3度) ○規模:マグニチュード7.6(暫定値) ○震源の深さ:16km(暫定値)

③各地の震度(震度5強以上) 石川県  震度7   志賀町、輪島市      震度6強 七尾市、珠洲市、穴水町、能登町      震度6弱 中能登町      震度5強 金沢市、小松市、加賀市、羽咋市、かほく市、能美市、 宝達志水町 

石川県:人的被害 死者706名、うち災害関連死478名、行方不明者2名、住家被害 全壊6,167棟、半壊18,723棟、公共建物443棟

出典:内閣府防災情報より抜粋

令和6年1月1日、未曽有の大地震が能登半島を襲いました。まさか正月にこのような大きな地震が発生するとは夢にも思っていませんでした。天災はまさに日も場所も選ばずにやってくるのだと身をもって知らされました。しかし、予兆はあったのです。令和3年あたりから輪島市の隣の珠洲市では地震が続発していました。そして令和5年5月には震度6強の地震が起こっていたのです。それでも、これでエネルギーが解放されたのではないかと安心さえしていました。(正常性バイアスというやつです。)やれることはもっとあったはずなのです。これだけ大きな地震だとやれることには限界はありますが、やれることをやっておかないと取り返しのつかないことになります。

はじめて学校の様子を見に中に入ったとき、もし生徒が学校にいるときにこの地震が発生していたらと考えゾッとしました。少なくとも大怪我は免れなかったと思います。不備はそこかしこにありました。

今は「これ」が倒れたらどうなるかということを常に考えるようになりました。すべてを固定することが理想ですが、学校現場ではそう簡単にはできないこともたくさんあります。それでも「これ」が倒れたら逃げ場があるかということを考えておくことはできます。逃げ場がなさそうなものを優先的に固定しましょう。逃げ場があるなら生徒にそのことを周知しておかなければなりません。物理的な備えは少しずつ、行動の備えはすぐにでもやっておきましょう。

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