217日目
2027年
第51回全国高等学校総合文化祭が
石川県を舞台に開催されます
3年後に迫った大会の準備を
石川県の高文連で進めています
その下見のために
「清流の国ぎふ」文化祭に来ています

まずは関ヶ原古戦場の巡見をして来ました
関ヶ原の戦いとは
豊臣家を守りたい石田三成軍と
新しい世を創りたい徳川家康軍との戦い
天下分け目の戦いと言われるほどの
日本の歴史において大きな意味を持つ戦いです

それほどの戦いであるなら
何ヶ月何年にも及ぶ戦いであるような印象を
勝手に持っていましたが
意外や意外わずか6時間で勝敗の決した戦です
勝敗を決するには
3人の武将の心の葛藤があったということを
今回学びました
ひとりめは小早川秀秋
三成軍の小早川秀秋は
合戦が始まって4時間後
突然家康軍に寝返りました
秀秋は秀吉の養子
かつては秀吉の後継者として
将来を嘱望されていたのですが
秀吉に待望のお世継ぎ秀頼が産まれてからは
ないがしろにされて
挙句の果ては小早川家に
養子に出されてしまいます
こうして見ると裏切りというより
寝返るには余りある理由があるなという気がします
人の心は時代を超えても変わりません
ふたりめは島津義弘
義弘は合戦前夜
奇襲を仕掛けるよう三成に進言します
ところが三成は
その作戦をけんもほろろに相手にしないどころか
義弘を罵倒します
結果翌朝合戦が始まっても
義弘軍は動こうともせず三成の指示に従いませんでした
このことは現代にも通じるものがあると思います
部下がいろいろ考えて提案したことに対し
どんな稚拙な提案であっても
決して頭ごなしに否定してはいけません
動かない義弘軍は結局
他の軍が壊滅状態になって孤立し
撤退を余儀なくされます
そのとき単に逃げるのではなく
敵の真ん中を突っ切って逃げます
つまり敵陣を正面突破して退却します
これは後に戦法「捨て奸」(すてがまり)とよばれる
味方を犠牲にして追撃隊を食い止める壮絶な策でした
3人目は毛利秀元
家康軍の背後に位置された秀元軍
元々は家康軍に動きがあった時に
挟み撃ちにするための軍でした
ところが家康軍が最初の陣から
三成軍に攻めに入っても
一向に動きがありません
秀元が動かなかったのを見て
小早川が寝返ったというのが
最新の学説だそうです
秀元が動かなかったのは
その前に陣を敷いていた吉川広家が
動かなかったのも一因です
秀元が広家に出陣命令を出しても
「今お昼食べてるから!」と
ほんわかした理由で断ったそうです
かくして天下分け目の戦いは
わずか6時間で幕を下ろしたのでした
ここで登場した秀秋 秀元 広家は
毛利元就「三矢の訓え(おしえ)」の
3人の息子のそれぞれ息子です
関ヶ原で家康が勝利したのは
毛利元就の
「3本の矢が束なれば決して折れない」
との訓えがあったからにほかなりません
しかし毛利一族の功績はさほど家康から
取り立てられることはありませんでした
250年の時を経て
一族の末裔の長州藩が
討幕を企てたことを考えると
人の恨みの恐ろしさ
人の評価の大切さを
しみじみと考えさせられます
216日目
早起きして街の様子を見に行きました

河井小学校の運動場に
仮設の校舎が建ちました
小学生は2学期からここで勉強できます

大町から朝市方向を望みます
輪島の朝市は奈良時代の末期
神社で始まった物々交換が
その起源といわれます
つまり千年以上の
歴史があることになります
「勝浦朝市」
「飛騨高山朝市」
と並んで日本三大朝市と呼ばれます
明治43年の大火で
一度焼け落ちてしまいましたが
そこから蘇っていますので
今回ここで終わるわけにはいきません

朝市通りの突き当たりにある重蔵神社は
1300年の歴史を持つ
大国主命をお祀りした神社です
このブログのタイトル
「おこらいえ」は輪島の海女の方言です
輪島の海女の先祖は
その昔福岡県宗像市から渡って来ました
宗像には
沖ノ島に沖津宮 筑前大島に中津宮 宗像に辺津宮
の三社があり
渡って来た輪島にも
その位置関係を模して
舳倉(へぐら)島に奥津比咩 七ッ島に中津比咩 輪島に重蔵
の神社をそれぞれ置いたそうです
舳倉島は昔「重蔵島」とも書かれ
重蔵神社もへぐら神社と呼んでいたそうです
これらは重蔵神社の公式HPからの引用です
興味深いのでぜひご覧ください

春の祭に曳く山車です
収納庫が崩壊したため
シートを被せて屋外に置いてあります

重蔵神社をはさんで朝市の反対側には
観音町があります
昔遊郭があったいわゆる赤線地帯で
現代でも震災前には多くの呑み屋が並んでいました
広い道路の真ん中に立つ
提灯型の街灯がなんともいい風情です

ご先祖さまが心配で墓地にも行ってみました
案の定倒れてしまっていて
ブルーシートを被ったお墓もチラホラ
自分たちが生きることで精一杯で
ご先祖さままでとても手が回らず
申し訳ない気持ちでいっぱいです
こんな様子では今回の地震で亡くなっても
まだお墓に入れない方も
きっといらっしゃるでしょう

近所の民家には
お墓参りに訪れる人に
「水道自由に使ってください」
となんとも大らかな貼り紙が

今日の街巡りの終着は馬場崎
この地域は比較的建物の被害が少ないです
新しい建物が多いからか
あるいはここは昔の駅前通り
馬場という地名にもある通り
もっと昔から交通の要所であった可能性が
だとすると地盤の
しっかりしたところなのかもしれません
215日
初夏の空には不思議な雲がいっぱい

写真では確認しづらいですが
真ん中やや右に彩雲
太陽との角度によって見える
虹色に輝く雲です
左下には鉤状雲
釣り針のように曲がった雲
上空の風が大きく曲がっていることが
わかります

こちらは蜂の巣状雲
上空の狭い範囲で
上昇気流と下降気流が
渦巻いています
周囲には天使の羽のような
毛状雲
右上には肋骨雲
飛行機雲が
上空の風に散らされて
魚の骨のようになっています
左下には変わった形
どうしてこんな形になるんだろう
勝手に四分休符雲と名付けます
雲ウォッチャーの私にとって
梅雨明けの空は
興味の尽きない研究対象です
手術後久しぶりに
街の様子を見に行きました

学校のすぐ近くにあった傾いたビル
すっかり撤去されました
小学生も安心して通学できます

お世話になっているティーンラボの建物
中がグチャグチャになっていたそうですが
今では多くの生徒のサードプレイス

ブルーシートで覆われた家
痛々しくもしっかりと
街のために商売再開しています

小路に入れば未だ手つかずの家も

火災のあった街並みです
公費解体が始まってしばらく経ちました

中央通り付近からいろは橋が見えます
間を遮る建物がすっかりなくなりました

高州山の中腹に大きく崩れた
岩肌が痛々しいです
他にもたくさんの
崩れたまま手つかずの家の
生々しい写真を撮ってきたのですが
おうちの方の心情を考えると
とても掲載する気にはなれませんでした
「街プロ」花火グループへのご支援も
引き続きよろしくお願いします
https://camp-fire.jp/projects/view/778271?utm_source=qr_code
211日目
10月は神無月といいます
全国の神様が出雲に集まるため
出雲以外は神様不在となるためです
逆に出雲では10月を神在月といいます
今日は石川県の校長無日
県内の校長先生が集まって研修を受ける日でした
北陸は教育に熱心な土地柄です
石川県は全国に誇れる
教員資質向上のための研修が充実しています
今日の校長研修もその一環です
教員総合研修センターから依頼を受け
全県の校長先生に
学校が避難所になったらどうするか?
というテーマで
お話をさせていただく機会をいただきました
昔
学校の授業はどれくらいの価値があるのだろう
試算してみたことがあります
教員の給料を時給に換算してみて
必要となる教室の借用費
電気代
冷暖房費
あらゆる必要経費を生徒数で割ってみると
1時間の授業に生徒ひとり約1,000円を
支払っている計算になることがわかりました
40人学級だと1時間の授業に4万円
1時間4万円の価値のある授業を提供しないと
その思いで教材研究に取り組んできた
つもりではあります
今日の校長研修には
どれくらいの費用がかかっているのでしょうか
それに見合うだけの話をしないと
そのプレッシャーで押しつぶされそうな
依頼を受けてからの4ヶ月間でした
一生懸命準備したにも関わらず
授業を離れて2年以上経つ
ブランクによるプレゼン力の衰えは
いかんともしがたく
いいたいことの9分の1も伝わらない
なんとも情けない講話となりました
明日は自己嫌悪で
昼も眠れない日になりそうです
本日は
一粒万倍日
この日蒔いた一粒の種がやがて一万倍に実を結ぶ日
天赦日
諸々の禍事罪穢れを天が赦してくださる日
大安吉日
ご存じのとおり
みっつが重なったまことにおめでたい日でした
しかも7月29日
七福(729)神の日でもありました
かしこみかしこみ
この佳き日に
校長先生方に少しでも心に残る話をと
意気込みだけはよかったのですが
以前 Posttraumatic Growth
心の傷を負ったものはその後大きく成長できる
という話をこのブログで書いたものの
今回の心の傷は大きく
口で言うほどGrowthは簡単なものではなさそうです
Posttraumatic Growth のひとつに
「精神性的変容」があります
人間の理解を超えた大きな力を目の前にして
生、命、死について
深く考えるようになるのです
部活動のはじめに「お願いします」
おわりに「ありがとうございました」
これはなんのため?
たとえば野球部に尋ねると
「野球の神様に」
と答えます
「じゃ野球の神様って誰?」
これまで明確に答える生徒はいませんでした
今
選手たちは活動できる場所がないため
自分たちでグラウンドの整備を始めました
輪島市民の命を守るため派遣された自衛隊
活動の拠点として入ったグラウンドで
液状化のため一時立ち往生していた時に撒いた
バラス(石ころ)が全面を覆っています
来る日も来る日も
その石ころを拾っては棄て
活動できる範囲を自分たちで拡げています
心も徐々に変わってきます
これまで当たり前のように
グラウンドで野球をしていたけれど
それは決して当たり前ではない
こうしてグラウンドひとつ作るにも
多くの人々の力が必要であること
そのことに気づきはじめるのです
「神様って誰?」
その問いに今では明確な答えを持っています
当たり前でないことを当たり前にしてくださった
そのために力を尽くしてくださった多くの人たち
当然挨拶の仕方ひとつ
変わってきます
心のこもったものとなるのです
何十年後かに
球児が挨拶する神様は
まぎれもなく
今一歩踏み出そうとしている
君たちなのです
209日目
和太鼓部が
「富士山太鼓まつり」で演奏するため
御殿場は富士山樹空の森へ来ています

富士の麓 御殿場市は市制70周年
記念に行われた富士山太鼓まつりは
今年で第37回を迎えます
第1回は五合目で行われたそうです
全国から集まった若い太鼓打ちたちが
熱いバトルを繰り広げました

大阪高校さんは私たちのために
義援金を届けて下さいました
演奏の方も一糸乱れぬバチ捌きで
圧巻のステージでした
目標としているのが
東日本大震災から見事に立ち上がり
一昨年全国一に輝いている
帝京安積高校さんです

これまでの演奏活動で
集めてくださった義援金を
届けて下さいました

内訳は
活動報告会
根本石油マルイチグループイベント
開成山公園リニューアル記念イベント
大町商店街おおまち笑show商イベント
ふくしま県の物産展イベント
郡山自動車学校創業祭イベント
福島県中小企業家同友会イベント
福島県守成クラブ商談会イベント
実にたくさんのイベントをこなされ
地域にとってなくてはならない
和太鼓部になっているんですね
みなさまのお気持ち
確かに届けていただきました

帝京安積高校さんのここまでの復活は
たったひとりの部員から始まったのだそうです
津波で何もかもさらわれた中で
「先生 みんな太鼓の音に涙していたよ
自分も太鼓でみんなを元気にしたい!」
後輩たちが
しっかりとその思いを受け継いでいます
御殿場市からも
いっぱい食べて元気づけてくださいと
コシヒカリ1俵をいただきました
ありがとうございます
さてさて肝心の輪島高校和太鼓部はといえば
昨夜ホテル入りした時に
「ドアはオートロック
キーカードを持たずに出ると入れません
去年やらかした人がいます」
と注意喚起したその直後S君が
「先生、キーカード部屋に忘れて入れません」
「お前、何聞いとったんや!」
と注意したK君が翌朝朝食券を忘れて
「お前こそ、何聞いとったんや!」
とやり返されているのを見て
コソコソと部屋に戻っていく I さんを
見逃しませんでした
I さんも忘れてきたのでしょう
実は校長もそのあと部屋に取りに
さらには同宿の他校の女の子に
キトキトになって
(これ方言です意味はご想像に)
「黄色いTシャツのコ可愛い!」
でも声を掛けれないシャイな男子に
「ここに可愛いコいるのに」
とでも言いたげな女子
先述のK君はジュースを4本も買って
全部ホテルの冷蔵庫に忘れてくるわの
新喜劇状態です
テレレレッテレ テレレレッテレ テレレレッテレ テ
ホンワカワッカ ホンワカ ホンワカ ホンワカホンワカワ
でも半被を着てバチを握ればキリリ

「今年輪島で祭りができるかわかりません
でも今日は輪島の祭りの賑わいを
全国の皆さんに届けたくて
今できる演奏を精一杯します」
これがあのドタバタ新喜劇か?
と思わせるカッコよさ

なんと3等賞をいただきました
自分たちの思いが
聞いてくださった方に届いたんだと
うれしい気持ちになりました

その他の学校の演奏も
本当に素晴らしいものでした
明日に向かって歩く
大きな元気をいただきました
204日目
夏休みの2日目
いろんな方から
教職を目指した理由なんかを尋ねられることがあり
そのたびにもっともらしい答えをしてはいるものの
正直なところ
「夏休みがあるから!」です
私が教員に採用されたころ
正直夏休み中一度も学校に来ない先生もいて
夏休みは教員にとって
貴重な自己研鑽の場であったわけです
ところがあるときから
教員の自主研修権の取得が難しくなり
今では
授業がなくても教員は毎日出勤
授業のある日以上の膨大な
書類処理に忙殺される毎日です
とはいったものの
私自身
初任1年目だけ
夏休みの恩恵にあずかりました
夏休みまるごと
県教委主催の英語科教員海外研修に
理科の教員でありながら
ずうずうしく参加し
アメリカ各地の学校をてんてんと
視察に行ってきたのです
渡航費等はもちろん自腹ですが
その分貪欲に学ぶことができました
さまざまなルーツを持つ生徒に
教員がそれぞれの接し方をします
その様子を見て
これからくるグローバル化を予感したものです
帰ってからは
世界中の人と話がしたい!
と外国語の勉強に励みました
日本人は
Do you speak English?
と問いかけられると
私の英語レベルなんてとても
と謙遜し
No,I can't.
と答えがちですが
実はそれは
「あなたと英語でコミュニケーションとりたくありません」
という限りなく失礼な意味に
なるということもそのとき学びました
今ではぬけぬけと
「私は13ヶ国語話せます」
と言ってまわっています
中には
「キートス(ありがとう)」しか知らない
フィンランド語も含まれています
Do you have some question?
疑問文では any を使うんですよ
としか学んで来なかった私にとって
これも目から鱗でした
any を使うと
「まさか質問ないよね?先行くよ」
という印象を与えるので
「どんな質問でも Welcome ですよ」
という印象の some を使うのだそうです
先日OECD(経済協力開発機構)の
シュライヒャー局長が来校されました
OECDは
世界38ヶ国の加盟国によって構成され
「世界最大のシンクタンク」として
さまざまな分野の政策調整などを行っています
教育分野においても
PISA(学力到達度調査)などの調査活動を行い
教育改革の推進や教育水準の向上に寄与しています
局長様はドイツ人
同行された奥様はイタリア人ということで
ドイツ語とイタリア語でご挨拶したところ
いたく気に入ってくださり
その後の対談でも
復興に向けて全面的にバックアップする
との約束をしてくださいました
こう考えると
挨拶って本当に大切ですね
そしてさらに言えば
教員1年目の夏休みの研修の成果が
およそ40年の時を超えて
まさかこんなところで実を結ぶとは
教員には自分を磨く時間が必要です
なんとか先生方の負担を減らそうと
いう思いだけはあるのですが
Posttraumatic Growth に向け
新たな取り組みをどんどん仕掛けて
負担を増大させていることに
心を痛めています
夜中の9時10時まで机に向かって
教材研究をしている姿を見ると
自分の力不足を思い知らされます
全国的に教員のなり手が不足しています
その対応策のひとつが
夏休みの自主研修権の復活です
教育公務員特例法に
「絶えず研究と修養に努めなければならない」
と定められている以上
その時間を保証するしくみが必要です
人が学ぶのは
(1)人
(2)旅
(3)本
といわれます
魅力ある教員を育てるためには
旅に出て
いろんな人と出会い
ゆっくりと本を読む
そのための時間が必要です
「街プロ」のあるグループが
夏休みを利用して視察旅行に出かけます
引率を若い先生にお願いしました
生徒とともにいろんなものに出逢い
これからの教員生活へ向けた心の糧となるような
豊かな経験を積んできて欲しいと思っています
201日目
PTG「心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic Growth)」
大きな心の傷を受けて
ひとは大きく成長することができます
(1)「他者との関係」
他人を思いやる気持ちが強くなります
今回さまざまな方がかけつけてくださり
その温かい人柄に触れる中で
生徒の他人への接し方が
すいぶんと変わってきたような気がしています
反対につらいときには頼ってもいいんだと
思えるようにもなってきていると思います
(2)「新たな可能性」
それまで描いていた人生の道筋が
大きく変わった人がいます
自分の将来の夢が大きく変わった人
いままでどおりでは何にも通用しなくなった人
だからこそ新しい可能性が開けてくるのです
(3)「人間としての強さ」
予測だにできない出来事に遭遇し
それでもまだ自分は生きている
ここに座っているだけで
自分が思っている以上に自分というのは強い
(4)「精神性的な変容」
人間の力を超えた大きな力に遭遇しました
神や仏を信じろまではいわないけど
多くの先人たちのパワーに守られて
今こうして生かされているような気が
生き方とは?魂とは?死ぬとは?
(5)「生に対する感謝」
あたりまえのように明日がくると信じていた
でもそれは決してあたりまえのことではないことを
思い知らされた
あたりまえのことへの感謝の気持ちが強くなりました
「傷つきから人は成長することができる」
これまでPTGを経験した多くの方からの
励ましの声をいただきました
その生き方を見習い
そしてこの後自分にできることは何か
夏休み期間中にしっかりと自分と向き合ってください
今日は1学期の終業式
発災から200日を生き抜いた生徒たちに
こんな話をしました
明石市にお住いの
石津 佐智子さまより
お便りをいただきました
震災が起こった時に
ペットと暮らしている方が
同室避難できるようにとの運動を
されています
ご自身も阪神淡路大震災で被災なさり
そのときのご経験を活かし
自治体にさまざまな提言をされているようです
昔見た戦争の映画で
防空壕の中で泣き出した赤ん坊を
「敵に見つかるから出ていけ」
と周囲の人にののしられながら
お母さんがあやすというシーンを思い出します
きっとペットをお持ちの方は
それと同じ思いで
震災後お暮らしだったんだろうなと推察します
199日目
本校卒業生で
ロサンゼルス総領事館にお勤めの
的場博子さまが一時帰国なさりました
セオドア・ルーズベルト高校で
日本語を学んでいる高校生
そして教えていらっしゃる
本郷依子さまからの励ましのお手紙を
南カリフォルニア石川県人会協議会
七尾出身の北垣戸会長さまのお力添えを賜り
お持ちくださいました

丁寧に漢字やひらがなを使って
そしてアメリカらしい力強い言葉で
あたたかいメッセージを
書いてくださいました
ありがとうございます
明後日は「街プロ」の日
ウィリアム・アイザック氏は
対話の心得について
(1)Listning(傾聴すること)
(2)Respecting(あらゆる発言を尊重すること)
(3)Suspendeing(判断・批判を保留すること)
(4)Voicing(素直な声を口に出すこと)
とまとめています
自分たちがそれぞれに思ったことを口に出す「会話」から
他者を尊重しつつ自分の考えを正確に伝える「対話」を
目指しましょう
「言うべきことを口にする」よりも
「言うべきでないことを口にしない」ことが
大切な場面もあります
日本の学校の授業は
一方的な知識の伝達から
対話に基づく学びへと大きく変わってきていますが
世界的に見れば
その手法についてはまだまだ未熟で
これから研究の余地がありそうです
これについては
今回繋がることができた
Rooseveit High School さんのような学校と
オンラインなどを使った交流の機会を増やすことで
そのスキルは大いに高まるものと期待しています
輪島高校は国際的な学校に生まれ変わります
今のところ校長の妄想ですが
いつかかならず!
今のままでいいやと考える
Fixed mindset を棄てて
どんどん新しく生まれ変わっていくんだという
Growth mindset の学校にしたい
それが能登全体の学びの復興につながると
考えています
198日目
福島県立原町高等学校の3年生
島ひろるさんが
千羽鶴を折って
励ましのお便りとともに送ってきてくださいました
ひろるさん自身
幼い頃から何度も被災し
そのたびに立ち上がっておられる様子が
綴られていました

あたたかいお心遣い
本当にありがとうございます
全校生徒が通る
一番目につく生徒玄関に
飾らせていただきますね
ところでみなさん
新札にはもう
お目にかかれたでしょうか?
私は1000円札と5000円札を
おつりでいただき
お初にお目にかかることが叶いました
最先端のテクノロジーの結晶です
特に立体ホログラムは「何これ?」
絶対偽札を作れっこないです
偽札を作ろうなんて思っていらっしゃる方
ムダな努力はやめましょう
この新札の偽札を作る技術があれば
もっと他のところに活かせます!
モデルの北里柴三郎氏のお札の肖像画は
ぱっと見怖い顔していらしゃいますが
調べてみると
とても魅力的な方だとわかりました
やんちゃ坊主だった柴三郎は
若い頃国を守る軍人になる夢を持っていましたが
入学した医学校の顕微鏡で細菌を目にしたとき
軍人よりもはるかに多くの人を救うことのできる
細菌学の道に進むことを決めます
のちの東大医学部を卒業したあとは
病気を治して高い報酬を得る医者ではなく
給料は安いけど
病気にならないように予防する
予防医学の研究の道を選びます
その後国からの援助のもとドイツに留学し
世界的細菌学の権威コッホに師事します
7年間研究に没頭した彼は
結局アパートから研究室までの道以外は
どこにも行かなかったといいます
そのころ取り組んでいた研究は
当時絶対に無理だと云われていた
破傷風菌の純粋培養です
体の内部で悪さをする破傷風菌の研究のために
菌を増やす必要があったのですが
それがなかなかうまくいかないのです
ある日ドイツ風茶碗蒸しを作る場面を目にした彼は
串を刺して内部の火の通り具合を
確かめている様子を見て
体の内部にしか存在しない破傷風菌は
もしかして空気が苦手なのかもしれないと考え
ついに酸素を絶った条件での
菌の培養に世界で始めて成功するのです
このように日常の何気ない場面から
新たな発見につなげていく姿は
「街プロ」の探究にも大いに参考になりますね
こうして培養に成功した
破傷風菌を用いた研究により
柴三郎は血清療法を確立します
血清療法とは次のようなものです
たとえば毒蛇にかまれたとき
毒蛇の毒に対抗する抗体という薬が
体内でつくられます
この抗体を含んだ血液の成分を
ほかの動物に注射すると
その動物は毒蛇にかまれても
死なないようになるのです
この血清療法はその後研究を重ねられ
現在のワクチンにつながっていて
多くの方の命を救っています
新型コロナが収まってきている今
氏がお札の顔に選ばれたのは
きっとこの功績を称えての
ものなのでしょうね
この世界的発見をした
世界の Kitasato のもとに
巨額のオファーが殺到します
しかし柴三郎はそのオファーを全て蹴って
日本へと帰ってくるのです
国費で研究させてもらったので
日本を伝染病から救いたいから
というのがその理由です
MLBから巨額の年俸を提示されながら
古巣広島東洋カープに帰ってきた
黒田博樹投手みたいにかっこいいです
日本に来た柴三郎にはしかし
活躍する土壌が与えられませんでした
そんな柴三郎を支援したのが
なんと旧一万円札の福沢諭吉です
諭吉は私財をはたいて研究所をたちあげ
その建設に反対する近隣住民の声を鎮めるため
隣に息子を住まわせ安全性をPRしたのです
新しいことを始めると
必ず反対の声ってあがるんですね
この逸話は
今後の私達の在り方生き方に関する
大きな励みとなります
今回のお札にまつわる話は
歴史大好き芸人 シロップじゅんぺいさんの
Podcast 番組「あんまり役にたたない日本史」
からのものです
役にたたないどころか
本当におもしろい歴史のエピソードが満載
本校の歴史の教員にも
「ぜひ聴くように」とお薦めしています
みなさんもぜひ
本当におもしろいですよ