地震から 700 日目
震災遺構 荒浜小学校へ行ってきました
荒浜は仙台の東
太平洋に面した地区です
当時10m ほどの津波に襲われました
こちらが
生徒教員含め320名の住民が避難した
荒浜小学校

写真左側2階のベランダに
「ここまで津波が来ました」の表示が

非常階段を見ると確かに2階と4階で
明らかに被害が違います
3 月11日 14:46
1~3年生は下校途中で
4年生以上が校舎で授業中でした
地震がおさまってから
全員を4階に避難させましたが
津波の襲来に伴い
避難してきた住民とともに屋上へ
3 月11日 17:30
救助のヘリが来ました
ちっちゃい子どもとお母さん
小学生 中学生 高校生 大人の顧番で
救助してもらうことにしました
真っ暗な中で屋上から
一人ひとり吊り上げられました
高学年の児童が
低学年の児童の面倒を
しっかり見たそうです
3 月12日 5:00
中学生高校生の救助が始まりました
その後ヘリが来なくなり
籠城の準備を始めたそうです
お昼頃消防団が歩いて来たので
誘導に従い
ひざや腰まで水につかりながら
50名ほどが歩いて避難しました
ヘリではペットが避難できなかったため
ペットと一緒の人は徒歩での避難を選びました
3月12日 午後
水が引いたため
ヘリが地上に着陸できるようになり
残っていた人全員の非難が
ようやく終わりました
荒波地区には
津波から住民や街を守るための
様々な工夫がされています
全長9km におよぶ堤防を
国・県・市が分担して整備しました

想定を上回る規模の津波が来ても
堤防が破壊・倒壊するまでの時間を稼ぎ
全域に至る可能性を少しでも減らす
構造上の工夫が施されています
潮害・風害・飛砂を防ぐ海岸防災林は
津波到達時間を通らせる効果も期待できます

2014(平成26)年から植林を開始しました
震災前の海岸防災林に戻るのに
数十年かかると言われています
沿岸部を南北に走る県道102kmにおいて
約6mの嵩上げ道路にしています

震災で発生したコンクリートくずや
津波で運ばれてきた土砂を活用しました
道路に堤防の機能を持たせます
このようにさまざまな設備を
組み合わせて防御することで
津波による被害の大幅な軽減を図っています
校舎の方は
防災教育の拠点として活用されていました
音楽室がシアタールームに
映像アーカイブが流されています

児童たちの作品も展示されています


こちらは輪島高校でもしましたね
思い出の場所旗立てワークです
あの時のまま止まった時計

校庭には
二宮金次郎さんの像が倒れたまんまでした

江戸時代に農民の子として生まれた金次郎は
朝暗いうちから夜遅くまで
汗と泥にまみれて一生懸命に働きながら
わずかな時間も無駄にせず勉強をしました
荒れ地を耕して米を作り
余った米をお金に変え
お金が貯まると土地を買いました
そして一生を世の中のために捧げ
大飢饉で困っているたくさんの人々を
救ったのです
その姿を見習いましょうと
マキを背負いながら勉強している像が
日本中の小学校に建てられました
その頃日本は
尺貫法からメートル法に
切り替える時期だったので
子供たちがメートルをイメージしやすいように
像の高さを1m に統一したそうです
『尺』は長さの単位
『貫』は重さの単位です
1尺は親指と人差し指を開いて
2歩測った長さで
だいたい30cmです
それを10等分したのが1寸なので
一寸法師の身長は3cm
キティちゃんの身長が
リンゴ5個分なので
それより小さいです
このように昔の単位は
人のサイズが基準になっていることが多いです
大人が両手を伸ばした長さより
少し長いのが1間
ヒトが両手を伸ばした長さとpy
その人の身長はほぼ同じなので
1間はヒトがひとり余裕を持って
横になれる長さということになります
海外でもことは同じで
1フィートはつま先からかかとまでです
約 30cm なのでやはりヨーロッパ人は
でかいですね
3フィートで1ヤード
これは腰回りが由来であるという説があります
ところで北極から赤道までの距離を測ると
ピタリ1000万m になります
これは偶然ではなくて
もともと
子午線の距離の1000万分の1を
1m とすると決めたからなんですね
水がちょうど0℃で凍って
ちょうど100℃ で沸騰するのと同じです
この定義は
パリの科学アカデミーが1799年に
パリを通る子午線の一象限の 1000万分の1の長さ
を1m と定めたもので
最初の『国際メートル原器』
つまり1m の基準となる「ものさし」
もその時作られました
その後作製された白金-イリジウム合金製のものが
1889年の第1回国際度量衡総会で
世界的に承認され
その時作られたものが
メートル条約全加盟国に配布されて各国原器とされました
日本のものは No.22
「産業技術総合研究所計量標準総合センター」
に保管されているそうです
その後
「メートルはクリプトン 86原子の
準位 2p10 と 5d5 との間の遷移に対応する
光の真空中における波長の
165万 763.73倍に等しい長さである」
と定義が変わり
現在では
「光が真空中で
299,792,458分の1秒間に進んだ距離」
となっています
東京ドーム何個分の方がわかりやすいですね
世界中にはまだまだ面白い単位があって
古代ローマでは
牛1頭が1日に耕すことのできる面積を
1モルゲンと言います
ドイツ語勉強している方はお分かりですね
英語の Good morning に相当する
グーテン・モルゲン
朝(Morgen)の語源となっています
ちなみにドイツ語では
文頭でなくても名詞の頭は
大文字で表記します
膨大な単位に『グーゴル』があります
1グーゴルは10の100乗です
日本語で表すことができる最大の数は
9999無量大数9999不可思議9999那由多
9999阿僧祇9999恒河沙9999極
9999載9999正9999澗9999溝
9999穣9999秭9999垓9999京
9999兆9999億9999万9999
10の70乗程度なので
一体何に使う数字か?
という気がします
ちなみにGoogleは
グーゴルの綴り間違いに由来する
と言われています
話があちこちに飛びましたが
最近では
金次郎さんが歩きながら勉強する姿は
歩きスマホを助長するとか言って
座って勉強する像に作り変えられているそうです
地震から 699 日目
東日本大震災を生き延びた方が
どんな思いで復興への道を歩んできたのか
その生の声を聞きたくて
ホテルではなく民宿に泊まりました
気仙沼の民宿『天心』さんは
昔船乗りをリタイアしたご主人が
震災前に始めた喫茶店がそのルーツ
復旧工事関係者の宿泊施設がないということで
民宿に変えたそうです

サンマの刺身やマンボウの腸にツブ貝
気仙沼の新鮮な海の幸をいただきました
当時のご苦労などをお聞きし
元気をいただきました
「おかえりモネ」の舞台気仙沼
付近の町とはBRTでつながれています

BRTつまり
Bus Rapid Transit(バス高速輸送システム)
バスを基盤とした次世代公共交通システムです
渋滞に関係なく
鉄道と同じくらい時間に正確な運行ができます
様々な工夫がされています
渋滞の影響を回避するため
廃線となった鉄道軌道跡等を利用した
専用レーンを走る区間があります
一般車両は走ることができないので
1車線のみ
単線鉄道のように駅ですれ違います
交差点ではバスの通行に合わせて
遮断機が動作します

トンネルなんかも1車線

高速道路を利用する区間もあり

一般道を走る際は
バスの接近に応じて
優先的に信号が青になります
鉄道に比べて整備費用が安く
導入までの期間も短いという利点があり
東日本大震災で被災した
気仙沼線や大船渡線の
復旧までの代替手段として
採用されています
陸前高田の『奇跡の一本松』
見てきました

震災前この場所には
約7万本の松林が広がっていましたが
大津波により
ほぼ全ての松がなぎ倒されました。
その中で
唯一津波に耐えて残った一本の松が
『奇跡の一本松」と呼ばれ
希望の象徴となりました
現状は残念ながら
地盤沈下による海水の影響(塩害)で
翌年枯死が確認されました
しかし復興の象徴として後世に残すため
幹に防腐処理を施すなど保存整備が行われ
モニュメントとして元の場所に立っています
実は輪島朝市の焼け跡にも
『奇跡のタイサンボク』
がありまして
震災直後から
炊き出しで地域の食を支えてきた
ミシュラン一つ星のフランス料理店
「ラトリエ・ドゥ・ノト」のシェフ池端隼也さんが
震災後の春に
この木に芽が出てきたのを見て
新たに居酒屋を開店する際に
1 本だけ残ったこの木が芽吹いたように
輪島市の復興の芽となることを期待して
店名を『mebuki』としました

手前の建物は『陸前高田ユースホステル』
この建物が根元にあったおかげで
一本松は残ったのだと考えられます

こちらは水没した松の根株群
元々この松林は
江戸時代にたったひとりの翁が
防災のためにと私財を投げ打って
植林されたものだったそうです

翁の志を引き継ぐべく
新しい松林が植林されていました
これも震災遺構です
なんだと思いますか

復旧工事のための大量の土砂を運搬する
ベルトコンベアーの橋の橋脚です
この橋のおかげで
トラックの運搬だけだと9年かかる
と試算されていた工期が
わずか1年半に短縮されたのだそうです
工事が終了しても
住民が「残して欲しい」と
感謝を込めて残すことにしたのだそうです
震災遺構『気仙沼中学校』です

誰かが亡くなられた場所が
『震災遺構』になることは基本ありません
この中学校も死者ゼロでした
当時の写真がこれです

震災の1年前に赴任された校長先生が
実際に避難場所まで歩いてみて
これでは危険だと
避難場所を設定し直して
避難訓練を徹底したことが
生徒全員の命を守ったのです
『東日本大震災津波伝承館』を訪れました

鉄橋の切れ端です
1cm以上もある分厚い鉄板が
引きちぎられています

被災した消防車です

主査の須貝 翔 先生に
案内していただきました
高校の先生をされているのですが
教育委員会からの出向という形で
震災の伝承をされているそうです
とても良い制度です!
須貝先生から
素敵な詩を紹介していただきました
「人はみんな過去を持ち
現在があって未来がある
その時々に出会いがあり
別れがある
風の電話はそれ等の人と話す電話です
あなたは誰と話しますか
それは言葉ですか
文字ですか
それとも表情ですか
風の電話は心で話します
静かに目を閉じ
耳を溢ましてください
風の音が又は浪の音が
或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら
あなたの想いを伝えて下さい
想いはきっとその人に届くでしょう」

伝承館のある祈念公園は
高い防波堤に守られています

防波堤に登ると献花台がありました

未来に向けて大切なことを伝えていく
その思いを新たにしました
「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 」です
予約を入れてガイドツアーしていただきました
ガイドは元中学校の菅原校長先生でした
ここは元々水産高校だった場所です

津波の跡そのままの部屋

3階の教室には流された車が

校舎の間には何台もの車が
当時は濁流が渦巻き
洗濯機のようだったそうです

流されてきた冷凍倉庫がぶつかった跡
つまり屋上近くまで水位が上がったのです
その日は入学試験があった翌日
生徒は全員避難したのですが
一部の先生は入試の答案を
3階4階へ運ぶために残ったそうです
その結果無事合格発表まで
こぎつけたのだそうです
それを指示された校長先生には
敬意を表します
私だったらできないと思います
命よりも大切な紙切れなんかあるか
と思うからです
どちらが正解かはわかりません
逃げ遅れた先生方は屋上に避難しました
屋上への出入り口は通常施錠されています
何という判断力でしょう!
校務員さんがこんなこともあろうかと
逃げる前に鍵を開けておいたそうです!
下は避難した屋上の写真です

津波は屋上に迫る勢いでした
「女は電柱の上に登れ!
男は手すりにしがみついて耐えろ!」
と指示されたそうです
でも女性の先生方が
電柱に登れるはずもありません
そこにもうひとつの奇跡が
一緒に屋上に避難してきた方の中に
学校の工事に来ていた方がいて
ハシゴを持って避難して来ていたのです!
先ほどの写真の左手奥の建物の上に
全員避難できたのです
引き波で水が引いたのを見計らって
全員4階のじゅうたんばりの部屋へ移動しました
教室からカーテンを引きちぎってきて
寒さをしのぎました

見ると津波で流されてきた家が
校舎に引っかかっていました
一階部分はありません
声をかけると
中に女性がふたり
真っ暗闇の中
先生方は
「明るくなったら助けに行くからね!」
「頑張って耐えて!」
夜が明けるまで交代で声をかけ続けたそうです
翌朝先述のハシゴを使って無事助け出しました
いろんなことを学ばせていただいている旅です
気仙沼でちょっといい感じの
写真が撮れました

地震から 698 日目
始発列車で仙台に向かいます
海に浮かぶ小さなガラス箱
日立市出身の建築家である
妹島和世氏の設計による日立駅は
美しい駅ランキングで
東京駅 京都駅 金沢駅などと並び
必ず上位にランクインします

太平洋を一望できるロケーション
「展望スペース」からは
美しい朝日を見ることができ
絶景スポットとして人気を集めていますが
何せ出発が夜明け前でしたので
こんな感じです
今度来る楽しみができました
東北大学で開催されている
「世界津波の日」
"World Tsunami Awareness Day"
高校生サミットに参加しました

国連防災事務総長特別代表兼国連防災事務所長の
カマル・キショア氏より
ビデオメッセージが送られました

前方の座席にはヒジャブを被った
イスラム女子高生が座っています
彼女らに限らず
民族衣装を纏った高校生が
それぞれの国を見舞う災害と
その対策について発表し合いました
国際色豊かな会議です
来年はぜひ着物で参加しようと思います

さて週末を利用して
東日本大震災の震災遺構や
復興の様子を見て回るつもりです
まずはNHK仙台放送局を訪ねました
当時を伝える貴重なアーカイブを
見せていただきました
どんな大地震でも放送を続けることのできる
最新鋭のスタジオにも
入らせていただきました
見よこのミーハーぶり
次に平泉へ行ってみました
内陸にある平泉自体は
被害はさほど大きくなかったようですが
世界遺産に登録された毛越寺(もうつうじ)

仏の世界を表現した「浄土庭園」の池にある
趣深い傾いた岩「立石(たていし)」が
余震のたびに傾きが増したので
布を巻き付けたうえ添え木をして
倒れないように守ったのだそう

中尊寺は一部の建物の壁が壊れるなどの
被害を受けました
表門は柱が傾くなど被害が大きく
本格的な修理のための
クラウドファンディングをしています
発災時は
避難所として被災者の受け入れも
おこなっていたそうです
世界遺産であっても
非常時はそうなるのですね
次に一関に行ってみました
『祭畤橋(まつるべばし)』の
崩落事故がありました
橋脚の地盤そのものが
11mにわたり
地すべりを起こしたことが原因でした
崩壊した橋はそのまま
「災害遺構」として保存されていて
整備された周辺の公園から
見学する事ができます
一関市街地には磐井川が流れます
太平洋から86kmあるので
さすがにここまで
津波は遡上しなかったようです
川のほとりには
N.S.P メモリアルがありました

ここから見える夕暮れの風景が
名曲「夕暮れ時はさびしそう」
の舞台だそうです!

N.S.P は一関工業高等専門学校の同級生の
フォーク・グループです
ギターを形どったベンチに
上品な女性が腰掛けていらっしゃったので
声をかけてみました
昨日は中村貴之さんの命日だったそうです
同じく既に亡くなった天野滋さんの
実家も教えていただきました
平賀和人さんはご健在で
今も草野球に夢中なんだそうです
私が初めてギターを弾けるようになったのは
N.S.P の「八十八夜」でした
地震から 695 日目
動摩擦係数に比べて
静止摩擦係数はかなり大きいです
平たく言えば
動いているものを動かし続けることに比べて
止まっているものを動かし始めるのは大変
ということです
「やる気が出ないのですが
どうしたらいいですか?」
という人生相談には
「やる気なんか出さなくていい
やる気がないまま始めなさい」
と答えています
脳みそは本当に単純な馬鹿タレで
動いていると簡単に騙されて
やる気がでてくるのです
さてさてしばらくお休みしていたこのブログ
講演原稿と執筆原稿の目処が立ちまして
本日より再開です
決してやる気がないわけではなく
むしろお休み中におもろいことがたくさんあって
書きたいことは山ほどあるのですが
どうも静止摩擦係数がことのほか大きく
何から書こう?
変に考えすぎてなかなか進みません
とりあえず
今日の素敵な出会いの話から
よそもの
わかもの
ばかもの
地方創生の鍵を握ると言われています
とりわけ
私はばかものが大好きで
いつもばかものを追い求めています
そんな素敵なばかものたちに
今日はいっぱい出会いました
このブログを再開するための起爆剤としては
充分すぎるパワーでした
この出会いをセッティングしてくれたのは
「日本の教育を変える!」
と息巻いて日本を飛び出した先で
能登半島地震の知らせを聞きつけ
いち早く帰国したまではいいものの
輪島に着いた途端に行き倒れ
忙しい被災民の手を煩わすという
荒技をやってのけ
以来輪島高校に籍を置きながら
被災地ガイドツアーで大人気を博している
本校きってのうつけ者
「てるてる坊主」です

能登里山空港の麓の三井町にある
『のと復耕ラボ』に
素敵なばかものたちが大集合しました
元々この地で開業していた
「里山まるごとホテル」
地域がまるごとひとつのホテルとなり
かまどのご飯や
縁側での昼寝
囲炉裏ばたでの食事など
能登の暮らしをまるごと堪能できる処
地震のため今は休業していますが
その場所を
ボランティアの方が休憩でき
交流が生まれる起点として活用している
それが『のと復耕ラボ』です

そんな素敵なみなさんをご紹介します!
まずはこの「能登若衆の会」のお頭
古矢拓夢さん
能登が大好きな熱い若者の会です
金沢のご出身ですが能登にも縁が…
実は飯田高校で校長先生を務められた
上乗秀雄先生のお孫さんです
本人曰く
Uターンならぬ『孫ターン』
上乗先生はご自身の退職金で
『ケロンの小さな村』を作られました
自然の中でひっそり暮らす
小さな生き物の観察や
米粉で作ったパンやピザが大人気の
自然体験村です
お頭は現在そこを経営なさっています
そんなお頭を慕って集まった
愉快な仲間たち

まずは加藤愛梨さん
東京から移住されました
防災コンサル Mutsubi を主宰されています
のとの復興に取り組む
若手人材育成を手がけ
Mutubeで能登の様子を配信されています
そしてその Mutsubi でのインターンシップ
山本浩毅さん
地域の事業者への
環境観光コンテンツ企画や
プロモーション代行を手掛けています
能登の魅力を YouTube『のとのと』
で配信されています
鎌倉出身の藤田ちはるさん
ゲストハウス黒島で働いていたのがきっかけです
高校生の時から仲間と一緒に
被災地支援や防災に取り組んできました
現在上智大学新聞学科で
防災教育を研究なさっています
高崎稚春さん
大分や静岡での災害ボランティアの経験を活かし
現在柳田植物公園の
指定管理者をされています

本谷悠樹さん
洪水被害の大きかった生まれた町野町へ
水害後に戻ってきました
子供の頃は大阪で過ごされ
高校は日本航空石川
現在 災害復興ラジオ「FMまちのラジオ」で
週一回木曜日にレギュラー出演されています

能登町ご出身の上野壱生さん
福井の高校を出られた後
現在牧場で肉牛のお世話をしてます
金沢大学融合学域の岡本岳人さん
合同会社SandBoxConectionsを
立ち上げられました
留学支援や
企業向けの海外への進出支援を
手掛けていらしゃいます
同じくSandBoxConectionsの花田怜大さん
七尾地域おこし協力隊として
御祓(みそぎ)地区活性化として
空き地空き家の利活用をされています
その他『マタギ』をされている方もいらっしゃいました
渋い職業ですね
石川県に若者の就労を支援するセンターがあり
そこに職業の適性を見極めるマシンがあります
質問にYes Noで答えていくと
ぴったりの職業を教えてくれます
一度生徒を連れて行ったことがありますが
出てきた職業が
『マタギ』
『キコリ』
『鷹匠』
『狂言師』
『床山』
よっぽど連れて行ったメンバーが
個性的だったのか
それともそのマシンの設定が
ぶっ飛んでいるのか
どうやってなるんだ?
って職業のオンパレードでした
その他全員の声を聞くことはできませんでしたが
とにかく素敵な仲間たちです
今後は
地元の若者たちと
どんどん繋がっていってもらいたいです
輪島高校では
毎週木曜日の午後に
街づくりプロジェクト『街プロ』をしていますので
みなさんぜひ遊びに来てください!!
地震から 671 日目
豪雨から 407 日目
たくさんの方々に見守られて
「MAJI で WAJI 活」
行われました

ウエルカムボードは
「WAJI活公式キャラクター」であり
「輪島市未公式キャラクター」でもある
ワジねことフグたろう
これも生徒の作品です

お客様を迎えます

午前中は5つのステージ発表がありました
1101_プログラム.pdf
発表の内容はZOOMで配信し
全国のみなさまに見ていただきました
お昼にはキッチンカーが来てくださいました
「からてん」さん
なかよしのおふたりでやってます

からあげっ 揚げたこやきっ
フルーツドリンク
お品の最後にちっちゃい「っ」
が入るのがおちゃめです

金沢港クルーズターミナルに
よく出店されているそうです
「ふしぎなネッシー」さん
ドリンクとスイーツの専門店

オリジナルメニューの
「バーボー」がおすすめです

バームクーヘンを棒に刺して
だから「ばーぼー」
かわいくペイントしてあります

キャラクターのオリジナルネッシー
金沢の小さな公園でひっそり開店
なので店名が「ネッシー」
お目にかかるのがちょっと難しくて
でも見かけるとしあわせになれます
「萬屋おてる」
元気いっぱいテルさんのお店です

牛ロース串やオムそば チヂミ

定期的に被災地輪島に来てくださり
「ワイプラザ」などにも
出店してくださっています
今度は珠洲にも行かれるそう
こんなお店にも来ていただきました

四十沢木工工芸さんの作品になります
輪島塗の木地で被災地の涙を形どった
震災後に生まれた作品です
さまざまな支援で輪島に来られる方が
被災地にはお土産が売られていないので
金沢のお土産を買って帰られることに
さびしさを感じ
今できる輪島のお土産をつくりだされました

四十沢さんはその他にも
かさねの茶会.pdf
や
Sudo Masahiro Quartet Jazz Live.pdf
など
被災地元気づける
さまざまなイベントも
手がけていらしゃいます
キッチンカーも持ってきて
手作りスイーツや焙煎コーヒーを
振る舞ってくださいました

「WAJI活」でカフェを経営しているふたりも
玄関先でコーヒーを振る舞いました

お昼には供用間近の
仮設校舎内覧会も行われ
保護者をはじめ
多くの方々にご覧になっていただきました

こちらは「内田洋行」さんからのご寄付
新しい職員室に入れられた
フリーアドレス対応の
先生方の机と椅子です
新しい職員室を
先生方が働きやすい環境にしたい
とお願いしたところ
今回のご寄付につながったものです
内覧会に訪れた方からは
「どこかの I T 企業のオフィスみたい!」
と感嘆の声が聞こえました
午後からはポスターセッション
ポスターを円形に配置し
中央に設置した360°カメラから
全ての発表を配信できるようにしました

こちらの機材を今回ご提供くださったのは
音響機器の
「アバー・インフォメーション」様
今回こんな発表会にしたいと
提案させていただいたところ
こんなに素晴らしい機器を
ご準備してくださいました
全てのポスターセッションの様子が
ズームや移動も思うがままに
リアルタイムに送信できること
しかも周りのざわめきに関係なく
発表者の音声だけを
クリアに捉えることができる技術に
驚きでした
オンラインでご覧になってくださった方は
実感されたことと思います
クロージングでは
2年生の小町さんが
感動的なご挨拶をしてくださいました

最後には
「フードバンク愛知」様からの
ドーナツなどの支援物質を
岩本様が届けてくださり
会場のみなさんに配られました

防災用おにぎりの提供も

たくさんの方々にZOOM配信でも
お楽しみいただきました
以下
お寄せいただいた感想を
ご紹介させていただきます
「本日『街プロ』を視聴させて頂きました。生徒の皆さん、凄いですね。どんな取り組みをするかよく考えて取り組まれた様子がとてもよくわかりました。午後からしか見れなかったんですが、高校生の目線とは思えないくらい、課題や考察、今後の取り組みの展望など、しっかりと考えられていて、楽しく拝見させて頂きました。高齢化の進む現代に地域課題を若い世代が一緒に考えて自分達の社会を「こうしていきたい」「こんな風になったらいいな…」と考える事ができるのはとても重要ですね。私達リハビリテーションの取り組みも、「地域共生社会」の実現がキーワードになっていますので、改めて考えさせられました。」
新潟県より 言語聴覚士の堂井真理さま より
「『街プロ』発表会、リモートで拝見しましたが、生徒さんたちの表情が生き生きとして、とてもよいイベントでした。発表内容はバラエティに富んでいましたが、AIや発酵発電などには感心しました。何よりも、「街プロ」が地域に根付いた取り組みになってきていることが感じられて、喜ばしかったです。ご苦労様でした。」
RISE(ライズ)理事 岩見 一太 様 より
「千枚田の復興の子達と是非一度お話しが出来ればと思いました。直接訪問出来るタイミングとしては恐らく12月以降になってしまいそうですが、来年4月のイベント時に輪島高校ブースを設置して、クッキーの販売や活動PRをしてもらえないか?と相談出来ると幸いです。」
umbling Dice Records 大石 崇史 様 より
「これからの地域の主役である輪島高校の皆さんが、元気に、明るく積極的に活動できていることが伝わってきて、とても嬉しく思いました。輪島高校の探究活動は地域との繋がりが強く、活動性の高さを感じています。特に、自分たちで考え、試行錯誤している様子が伺え、今後につながる体験ができていると思いました。最後の生徒さんの挨拶を聞いて、輪島高校の探究活動自体が、輪島の活性化に繋がっている、役立っているのではないかと思いました。近い将来、輪島にお邪魔し、皆さんと交流できることを楽しみにしています。」
久留米大学 安永 悟 教授 より
その他紹介しきれませんが
ありがとうございました